2017年2月28日(火)に、「農業・農地」を主題として第1回なりわい部会を開催しました。市内で営農・実証栽培をされている方々を中心に、行政や学識経験者を交えて今後の小高区はじめ20km圏内の農業・農地について話し合いました。
※小高復興デザインセンターでは、「まちなか」「生業」「つながり」「災害リスク」のテーマごとに協働の場をつくり、復興を進めていきます。私たちはその協働の場を「部会」と呼んでいます。
小高復興デザインセンターでは、分野別に複数の部会を設けています。なりわい部会では、第1次・2次・3次産業の枠に拘らず、小高の生業の実態を把握・共有した上で、個々の芽が連携できるような体制構築を目指して、話し合いの場を開催していきます。
第1回目は、なりわい部会の趣旨をご説明した後、各参加者の自己紹介と近況報告を行い、それぞれの活動経緯を年表に書き込んでその場で共有しました。その後、市農政課の職員より南相馬市の農業の実態に関してデータを用いた説明がありました。さらに、飼料作物の実証栽培をされてきた住民の方や、東京大学農学部の田井中先生から、震災後小高区で進められてきた農業についてご報告いただきました。最後に、小高区内の農業・農地の課題について、部会参加者みんなで話し合いました。
1.各参加者の自己紹介及び近況報告
まず、参加者のみなさまから、震災後の実践に伴う試行錯誤の経緯や最近の動き、お考えのことについてお話しいただきました。例えば下記の内容のお話がありました。
■震災後の創意工夫と個々の構想について
・営農は会社組織、維持管理は組合といった役割分担を進めている。
・太陽光パネル設置と農業施設整備による半農半エネルギー事業をやっていきたい。
・2012年から実証栽培を始め、菜の花から油を取り、全国販売する試みを行ってきた。
・実証栽培の成果も出てきており、ゆくゆくは部落を飼料作物の供給基地にしたい。
・現段階では、津波被災のなかった農地しか営農できていないので、除染が終わったら廹田でも取組みたい。
■農地の維持管理について
・復興組合が終わった後、きれいな田んぼをどうやって維持していくかということが課題。そのためには人が戻ることが条件だと思う。
・ほ場整備する農地の他に畑もあるので、そこの管理・耕作が課題。
・今営農する仲間が50代後半以上なので、10年先が心配。
▲ 震災後の年表に、参加者の方々のこれまでの活動経緯を加筆しました。
2.小高区内の農業に関する状況と行政施策について
続いて、市農政課の職員より、小高区はじめ市全体の農業の状況についてデータに基づいたお話がありました。震災後、農家数の減少や高齢化等の課題はある一方で、米の全量全袋検査や他県での農産物PR活動など、できるところから前向きな取り組みが続けられています。
そのほかにも、昨年末に策定された農林水産業再興プランや、農地除染・津波被災農地の復旧状況まで、市の農業の大枠を掴むことのできる内容について、紹介がありました。
3.飼料作物の実践状況・新たな農作物の栽培の可能性について
さらに、2014年頃から小高区大富で飼料作物の実証栽培を続けられてきた住民の方から、これまでの経緯や、作付けを続けることで分かってきたことを共有いただきました。初年度は未除染農地からスタートし、年を経る毎に、反転耕をしたり、ロット管理をしたりして工夫を重ね、2017年は原町区の事業者から注文が来て毎月一定数の供給が行えるところにまでなったそうです。
また、2014年から小高区に入り、実証栽培を続けてこられた東京大学農学部の田井中均先生からも、これまでの経過や、今後小高で考えるべきことをご教示いただきました。初めは発電用ガスを得るための収量調査を企業とともに行っていましたが、採算が合うところまでは難しかったそうです。その後、財団による飼料作物に関する研究で栽培を根気強く継続されてきました。お話の中で、小高でも参考になるのではないかと、伊達市白根の「もろこしフェスティバル」を例に、地域をあげて農作物を活かす取り組みについてもご紹介いただきました。さらには、経産省のイノベーションコースト構想の補助事業で取り組まれている、ケナフからエンジンオイルの添加剤をつくる実用化実験についてもお話がありました。
最後に、お2人が特に重要視されている、今後の農作物栽培の可能性についての示唆が得られました。それは、農業の買い手は食べ物だけではなく、農商工連携がヒントになるということです。農作物を工業製品にすることで、風評被害もなく、収益も上げられるようなことができるのではないか、というお話で締めくくられました。
話題提供を受けて部会参加者から出された質疑と、それに対する応答の一部をご紹介します。
Aさん:「工業製品にするのでは、農水省の補助が出ないので、取り組みを始めるには難しいのでは。」
→「一定基準までできるだけ農家が加工を行うのが重要。また農閑期にも工場で働くことができる。」
Aさん:「初期投資がかかるので、1から10まで全て農家で行うことは難しい。買い手が決まっていることが絶対条件となるが、農家が出口を見つけてくるのも厳しい。」
→「指摘の通り、出口を見つけてくることが重要。ケナフは技術開発段階だが、今後マーケティングも必要となってくる。」
▲ 第1回なりわい部会の様子
4.今後の農業・農地について意見交換
最後に、部会参加者みんなで小高区内の農業・農地の課題について話し合いました。相互に意見交換が活発に行われ、とても有意義な時間でした。ここで挙げられた論点をいくつかまとめてご紹介します。
■有害鳥獣対策
・震災前後で異なることとしては、有害鳥獣対策のための電気柵設置に労力がかかること。対策があれば知りたい。
→柿、柚子、梅など不要な果実の木は切ってもらうことが重要。思い出のある木などはなかなか切れないということもあるので難しいところではある。
■土地の維持管理
・避難されている地権者の土地の管理意向が分からない状態で、土地の維持管理が難しい。
→売る・貸す相手はなかなかいないので、まずは借りてもらえるような環境づくりが大切。
・県の中間管理機構が取りまとめ、担い手に貸すという仕組みを機能させることが重要。
→中間管理機構と農家の間に入る人がいないと難しい。農家サイドに制度を知らない人も多いので、まずは周知の必要がある。
・除染が終了すれば、荒れた土地が目立つことが懸念される。復興組合の管理の仕組みを広げて、帰還した人で帰還しない人の土地を維持管理する仕組みを行政中心でつくれないか。
・復興組合が継続する2年間は対応できるが、その後が問題で、まずは組合を一本化し、行政も入って地権者の合意を得ながら進め、農地管理・保全をしていくことが必要である。会社で農地を借りて、営農する動きがあるが、廹田の管理も含めて行っていく必要がある。2年間でその体制を早めに構築する必要がある。
・自分の土地は自分で守るというところに戻ることが必要ではないか。自分や行政区で食べるものは自分で作るというのが基本。
・条件が整わないと戻る気にはならないという人も一方ではいる。
・サロンを開いて、集会場の近くにひまわりを植えている。何かやることで、戻ってくる人がいるといい。
■営農からの出口確保
・出口の話も様々あるが立ち消えになることもあり、安易に実証栽培の話に乗れないということもある。出口をしっかりリサーチして検討することが重要。
・よそ者がどういった農業ができるのか、食べていくにはどうしたらいいのかを考えたい。売り先を見つけてくるのは農協だけの仕事ではない。土地利用型で集約してやるためには、誰かの仲間になる必要がある。コストを下げるということと、買い手が必要。今までと違う農業の形を示すことで、都会の方の目も向いてくるのではないか。
■後継者の育成と人の受入れ
・10年後を考えると若い担い手を育てる必要がある。地元の方もなかなかいないので、任意組織を会社組織にして、その中で任せていくことを考えている。
・震災後は鹿島の方で営農しているが、人が集まらないということはない。時間帯など配慮すれば人は来る。市のインターンでも都会・県外から人が来た。今後は海外などからの受け入れもあり得る。ただし、地域の理解も必要。
・従業員は来るが、後継者は難しい。まずは受け皿となって広げていくことが必要で、最初から小高に入るのは厳しくとも、まずは鹿島などで研修を行うのもあるのではないか。
・少しでも成功事例をつくっていくことが必要。そして情報発信していけば、広がっていくと思う。
・高齢者のいきがいづくりにつながる農業ということも必要。
なりわい部会の今後の開催時期は未定ですが、小さくでも実践することと、土地の維持管理の課題対策検討の双方を進めつつ、再び今回のような機会を設けたいと考えております。
開催予定が決まりましたら、Web等によるご案内をさせていただきますので、今後とも応援のほど、よろしくお願い申し上げます。